今回の記事は、前回の記事(障害児を授かったお父さん、お母さんへ 「私は息子の障害を受け入れて楽になりました」)の続きです。
前回の記事は、障害児を授かり不安でいっぱいだった私が、息子の障害を受け入れ、幸せの再定義をしたことにより、気持ちが楽になったという体験談です。
今回は、その後に家族を連れて東京から八ヶ岳に移住した体験談をお伝えします。
都市部での生活・子育てに不安や疑問を感じている方の参考になれば幸いです。
移住のきっかけ
ある日、満員電車で
当時の私(36歳くらいでした)は、東京でサラリーマンをしていました。
障害のある息子(当時3歳)をどう育てるか?息子だけではない。妻や娘(当時8歳)もいる。家族の暮らしをどうするか?
自問自答を日々漠然と繰り返していました。
ある日、通勤で毎日乗っている満員電車に知的障害の若者が乗ってきました。
1人で乗車してきたので、比較的軽度の知的障害のようです。
軽度とは言え、満員電車で行儀よくしているのは難しい。ブツブツと何かを呟いたり、若干挙動不審な身動きがありました。
満員電車に知的障害の人が乗車する光景は、東京ではそれ程珍しいことではありません。たまに見かける光景です。
落ち着きのない知的障害の人に対し、怒鳴ったり注意をする人、嫌そうな顔をする人、チラチラ見る人、スッと遠ざかる人、その時々によって周囲の反応は様々です。
その日は、怒鳴りつけたり、注意する人はいませんでしたが、周囲の人たちの反応は冷ややかでした。
「うちの息子も将来こんな冷ややかな目で見られるのかなぁ。満員電車は大変だよなぁ。」と気持ちが暗くなりました。
八ヶ岳に惹かれる
ある夏の日、家族を連れて八ヶ岳旅行にでかけました。
宿は森の中にあり、ひんやりした空気。
部屋に通され窓を開けると「ササァーー」っと、なんとも涼しくて爽やかな風が森から吹いてきて…その瞬間に、私は八ヶ岳に惹かれました。
私は都会生まれの都会育ち。「住むなら都会が一番。山や海などはたまに行けばいい。」くらいにしか思っていませんでしたが、その考えが一転。
その後、機会を見つけては八ヶ岳に家族で遊びに行くようになりました。
ここで暮らせたらどれほど素敵だろう。息子にとっても良い環境かも。そう思うものの、それは夢物語。
当時はそう考えていました。
雑誌をみて
八ヶ岳には別荘がたくさんあり、持ち主が使わないときは貸別荘として他の人が利用できるリゾート施設があります。
私がその貸別荘に宿泊したとき、施設の受付に雑誌が置いてありました。
その雑誌には、別荘ライフを楽しむ都会の人たちや、都会から移り住んだ人たちの暮らしが紹介されていました。とてもキラキラしていて楽しそうでした。
その雑誌を読みながら「移住しちゃおうかなぁ。もしかしたらできるかも。」という漠然とした希望が湧いてきました。
現実をみると
希望が湧いてきたものの、現実を考えると超えなければならないハードルがいくつもありました。
- 仕事はどうする? 転職する? それとも遠距離通勤? そんなこと可能なの?
- 息子の学校は大丈夫か? やっぱり都会の方が施設や療育メソッドが進んでいるのでは?
- 娘の転校は? 娘は馴染めるのか? 「都会の子は地方でいじめられる」って聞いたことがあるぞ。
- 娘の進学は?(娘は健常児だったので、進学のことも考えなければなりません)
- 東京の両親も寂しがるぞ。年老いていく両親を東京に置いていけるのか?
- 家はどうする? 新築するのか? そんなお金あるのか?
ハードルは高くて多い。
現実を考えると、移住は無理! という結論にならざるを得ません。
八ヶ岳病を発症
現実的には移住は無理でした。
しかし、それに反して「移住したい」という気持ちは強くなるばかり。
その後も、八ヶ岳に何度も遊びに行きました。
移住したい。でも、それは無理。…その繰り返し。
「後ろ髪をひかれる」などと言いますが、八ヶ岳から東京に帰る際、本当に後頭部が八ヶ岳の方に引っ張られる感じがする程でした。
そのことを、既に八ヶ岳に移住した方に話すと「それは八ヶ岳病って言うんだよ。発症したら、別荘を建てるか、引っ越さないと病は消えないよ。」と言われる始末。
そしてある日、「無理を承知でなんとかしてみよう!」と私は決意しました。
移住に向けて
その後、私は移住のハードルを1つ1つクリアしてゆきました。
ハードルをクリアと言うと格好いいですが、どうなるか分からない殆どの部分を
「なんとかなる!」で押し切っただけです。
幸い、私は職場に恵まれ、準遠距離通勤が認められました。月曜日から水曜日までは東京の両親の家に泊めてもらい赤坂の職場に通い、金曜日は在宅勤務。週の半分は東京で単身赴任、残りの半分は八ヶ岳での生活ができることになりました。
お金の方ですが…どうにもならなければ、中古の別荘でも買い取ってリフォームすればなんとかなるだろう…と思っていたのですが、実際に動いてみると、都市部より地方の方が「土地の値段」が圧倒的に安く、そのお陰で家を新築することができました。
私の考えを理解し協力してくれた職場の上司、妻・私の両親・妻の両親。皆に心の底から感謝しています。
移住してみて
八ヶ岳南麓。標高約1000メートルの別荘地区に移り住み、すでに18年が経ちました。
結論から言いますと、移住は大成功でした。
私が心配したことは、何一つ起こりませんでした。
地元の人に暖かく迎えられ、娘は学校にすぐに馴染みました。近所に公立の中高一貫校があり、移住から数年後にそこに入学し、塾などに通うことなく東京の大学に進学しました。
両親は寂しかったと思いますが、ちゃんと理解してくれました。
息子の生活も…細かいことは分かりませんが、大筋で大成功でした。
なんと言っても、地方は「ゆとり」があります。
- 土地は広く、人と人との距離もたっぷり。
- 多少大きな声を出しても、誰もいないから大丈夫。
- 多少だらしない格好で家から出ても、誰もいないから大丈夫。
- 満員電車なし。すべて自動車で移動。
- 都市部のようにセコセコせず、ゆったりと生活できる。
私の場合、たまたまラッキーが重なっただけかもしれません。
別荘地区という土地柄、「地元の人半分。都市部出身の人半分。」という人口構成も幸いしたように思います。
もちろん、都市部の方が優れているところも多く、どちらが良いと決めつけるべきではありません。最適な場所は人それぞれです。
ただ、少なくとも、地方での暮らしが私の考えやスタイルに合っていました。
繰り返しになりますが、私の移住に対し、理解してくれた妻、私と妻の両親、職場の上司には心から感謝しています。
そして、転校した学校に馴染んでくれた娘には、本当によく頑張ってくれたと感謝しています。移住前に一番心配だったのは、娘の転校だったからです。
妻・両親・職場の上司は大人ですから、最終的には何とかなると思っていましたが、娘はまだ小学校低学年でした。娘に辛い思いをさせたくない。都会の子だから、障害児の姉だからといじめにあったりしないか、これが一番の心配だったのです。
都会で閉塞感を感じている方へ
上記の通り、私が移住前の心配していたことは一切起こりませんでした。
しかし、これはたまたまラッキーが重なっただけなのかもしれません。なので、これを他の方に勧めることはできません。一般の企業に務めている方が遠距離通勤をすることは難しいですし、私のようにラッキーが重なる保証はどこにもないからです。
だだ、その一方で、時代は変わり、いまは新型コロナウィルス感染防止のためテレワーク・リモートワークが浸透してきました。IT技術のさらなる進歩に伴い、テレワーク・リモートワークは更に進むと思います。
私が移住した頃よりずっと地方に移住しやすい時代になりました。
不確定要素は相変わらず沢山ありますが、移住のハードルが下がってきていることも確かです。
もし貴方が都市部での暮らしや子育てに閉塞感を感じているのであれば、一度地方への移住を考えてみてはいかがでしょうか。
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